入院中に手書きで書いてた日記です。 あえてどうでも良い事もそのままにしているし、直接的な話もそのままです。 多分、普通の人が読むには痛々しい部分もあることでしょう。 この日記は誰かに見せる為ではなく、私の心の整理と、いつか私と同じように辛い思いをする人が、何かの参考になればと残すために書いています。 どうか、支離滅裂な文章をお許しくださいませ。 2011年12月7日(水) 天気は晴れ。 入院は午後から。 午前中は持っていくものの最終確認なんかをしていた。 行きたくなんてなくて、どうでもいいことをして現実逃避してた時間もかなりあったと思う。 前日に、居ない間の旦那の食事として作ったカレーもある意味、現実逃避。 出かけるちょっと前、パソコンに向かう。 手紙なんて形にすると、物のおおい我が家ではどこにあるかわからなくなりそうで。 テキストファイルに、何かがあった時の為の書置き。 医者から、状況によっては私自身の体にも影響が出て、場合によってはそれこそ命にかかわるかもしれないから、なんていわれてたから。 連絡先とか貯金の事、それに遺言めいた文章。 書いてて、ちょっと笑えた。 旦那に何か残せるものって、本当に少ないなって。 「何かあったら開いてね」なんて面白みもないファイル名。 デスクトップの真ん中にぺたんと置いた。 ちなみにそんな文章は、自宅安静って言われてる今はまだ、パソコンの中にあったりする。(苦笑) 午後。 付き添ってくれる母と待ち合わせて病院へ。 ついたのは13時半ぐらいだったかな。 簡単な手続きをして病室に案内される。 待機室ということで、差額ベッド代はなしだそうな。 明るい感じの二人部屋を一人で使わせてもらえることになった。 16時ぐらいまで付き添ってくれていた母は、ばたばたとあれこれ面倒を見てくれた。 その間に、助産婦さんとかから説明も受けて、ここで数日過ごす準備も終わった。 一人になるととっても暇だった。 すぐ隣にある三鷹高校の部活中らしい学生たちの声や、吹奏楽の音が聞こえる。 持ち込んだ本を読んだりぼーっとして時間を過ごす。 18時ぐらいに夕食がきた。 その日のメニューは、ごはんと味噌汁、かじきの南部揚げと煮物、お浸しと牛乳。 食べきったけれど、味気ない。 あぁ、病院食だなぁ、って感じ。昔入院した時をちょっと思い出した。 19時ごろ。1回目の処置に呼ばれた。 内容は聞かされていた通り、子宮口を広げるためのもの。 いつもの診察室みたいに体の上にカーテンがかかって、向こうで何をやってるかはあまりよく分からない。 いつもの先生と、研修医っぽい女医さん、それに助産婦さんなんかがついていて。 メインで処置を行うのはまだ若い研修医っぽい女医さん。 エコーで胎児が生きているのを確認した後に、超音波で胎盤の位置を確認。 ここまではいつもと同じ。 そのあと、膣の仲に何かを沢山入れられ始める。 多分、処置しやすいように広げて固定する器具?とかと、その他諸々。 海草で作られて、水を吸うと膨らむ棒を一本ずつ入れられていく。 痛いけど、痛みより怖さで力が入ってしまう。 逃げないようにって言われるけれど、本能的に腰が逃げてしまう。 つい、「うっ」とか声が漏れてしまう。 多分、痛みそのものはそんなに大したものではないのかもしれない。 だけど、過去の経験から研修医が怖くて仕方ない私。だからか、本気で怯えてた。 そんな私を、助産婦さんががんばれ、がんばれって宥めてくれてた。 最終的に1回目の処置では大小あわせて棒は7本入ったらしい。 処置が終わった後は、自分の足で処置室から病室に帰った。 帰った後は、痛みなどで10分ぐらいは動けなかった。 ベッドにあがって寝転がったり、座ったりすると押されそうで、ベッドの柵に掴まって上半身を折ったまま、痛みがひくのを待った。 痛みがある程度ひいても、下腹部にはやっぱり違和感が残った。 下半身は濡らしちゃダメだというので、部屋のシャワーで頭だけ洗う。 本当はいけないのだけど、携帯のメールで何度か旦那とは話をしたし、母からもメッセージが来てた。 それだけで疲れてしまって、22時過ぎぐらいには寝てしまった。 一度は寝てしまったのに、夜中に2回は起きたし、そのうち1回は中々寝付けなくて30分か1時間ぐらい本を読んでた。 おなかと言うより、腰が痛い。 後、ベッドが堅くて狭い。寝返りをうとうとする度に眠りが浅くなる… PR 忍者ブログ | [PR]
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