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めーたろうな日々
アクセや雑貨の手作り記録と、我が家の王子様メイタロウ(ホーランドロップイヤー♂)の日記です。
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入院中に手書きで書いてた日記です。
あえてどうでも良い事もそのままにしているし、直接的な話もそのままです。

多分、普通の人が読むには痛々しい部分もあることでしょう。
この日記は誰かに見せる為ではなく、私の心の整理と、いつか私と同じように辛い思いをする人が、何かの参考になればと残すために書いています。
どうか、支離滅裂な文章をお許しくださいませ。

2011年12月9日(金) 雪?のち晴れ

前日より少しだけよく眠れたのは、旦那がいてくれたからだと思う。
考えてみると、結婚してからこのかた、出張とかの時以外はずっと一緒に寝てる。
手の届く場所に居るかどうかって本当に違うんだなぁって思った。

6時過ぎかな、背中が痛くて目が覚めた。
とんぷくが効いてるのか、おなかはあまり痛くない。
旦那は仕事だからって、7時ちょっと前に出て行った。
これからいつも通りに仕事しなきゃいけないって、辛いだろうなぁって思った。
もともと眠りの浅い人なのに、夜、ちゃんと眠れたんだろうか。

処置当日。
痛くなければいい。怖くなければいい。
そう願う自分は弱いなって思う。
ただ、おなかの中のあきらに、私の負の感情が伝わらなきゃいいって願ってた。
あの子が哀しまないで済むように…

朝ごはんは普通に出てきて、全部食べられた。
メニューは、パンとマーガリン、グリンピース入り炒り卵、もやしのソテーとパイン、牛乳。
相変わらずの病院食。

9時。先生がきて、分娩室へ。
3回目の処置で入れた棒をとるのは、1回目の時の研修医さん。
痛くて、今までは我慢してたのに、つい「痛い!」って声に出してしまった。
やっぱり上手い下手はあるんだね。
膣から子宮へ、カプセルみたいな薬を入れられる。
この時は、これだけ。
1時間ぐらいで痛みがくるって説明される。
助産婦さんに手伝われながら、お産用の紙ショーツと術用の簡易服に着替えた。
全然フィットしなくて心許ない。
病室に返されて、後は本当に待つだけだった。

9時半ごろ、下腹部がどくんどくんいってるのがわかる。
まだその時点では痛くはない。
けど、怖い。どうなっちゃうんだろう。
これぐらいの頃に、母が病室に来た。心配そうな顔してたように思う。
仕事を休めない旦那の代わりに、母がこの日一日あれこれ全部やってくれた。

9時45分ぐらい、まだ腰の方が痛い。
10時ごろ、おなかが痛くなってくる。多分子宮かその入口だと思う。
何度も助産婦さんが部屋にきたり出て行ったり、様子を見に来てくれてた。
10時15分ごろ、助産婦さんがちょうど出ていた時に、痛くてたまらなくなってナースコールを押す。
インターフォン?から声が聞こえたけど、言えたのは「痛いです」の一言だけ。
多分、息も絶え絶えの喘ぐような声になっちゃってたと思う。

そのあとはずっと助産婦さんが付いててくれて、10時半ごろには車椅子で分娩室へ。
その間も、母は何度も私の傍にきたり、ちょっと離れて旦那にメールをいれてくれたりしてた。

分娩室で、助産婦さんが3~4人ぐらい付いてくれてたと思う。
メインの先生もきて、それ以外に研修医もあわせて5人ぐらいお医者さんもいたように思う。
水分補給の点滴をつけられる。
普通だったら腕の半ばにつけるみたいだけど、上手くいかないみたいだったので、いつも採血してる肘の内側から入れてもらった。
よくよく考えたら、とても恥ずかしい格好だったのに、そんなこと頭からふっとんでしまうぐらいに混乱してた。
痛くて、それ以上に哀しくて、ずっと両目から涙が横に流れてた。
涙のせいか、周りのことがよく見えない。

痛みが来て、ほんの少しの間だけ収まって…の繰り返し。
真っ白になってしまった足に、助産婦さんが靴下をはかせてくれた。
横で、がんばれ、がんばれ、ちゃんと上手く呼吸できてるからって励ましてくれた。
ずっとずっと、痛みがひいてちょっとでも思考が出来る間は、「あきら、がんばれ、もうちょっとだから、お外へおいで」っておなかの子に心の中で呼びかけてた。
…外に出てきてしまったら、この子の命は終わってしまうのに。
ごめんね、ごめんねって、ずっと謝ってた。

羊水がほとんどなくても、一応破水はあったらしい。
らしいっていうのは、私はもう訳がわからなくなっていてよく覚えていないから。
ただ、痛くて漏らしてたとかだったりしたら悪いなぁとかしょうもないことを思ったのだけ、覚えてる。
本当にしょうもない。

一段ときつい痛みが来て、思わず悲鳴が上がった。
上手く呼吸できなくて、喘いだ。
おなかから丸っぽい何かが出て行くのを感じる。
12:01だったらしい。
「上手だったよ、赤ちゃんも頑張った」ってベテランっぽい助産婦さんがいってくれた。
へその緒を切るまで、ずっと朝から世話してくれてた助産婦さんがあきらを両手で持っていてくれたように思う。
冷たい何かの上じゃなくて、手で受け止めてもらえたのが救いだった。
その後30分ぐらいかけて、なんとか胎盤も綺麗に出たらしい。
きっと、あきらが、私が苦しまないようにってちゃんと胎盤も持って行ってくれたんだと思う。

13時には病室に戻された。
終わってみれば、3時間に1回ぐらい入れる予定だといわれた陣痛促進剤は1回だけで済んで、お産そのものもすんなり終わった方だったようだ。
多分、あきらが小さかったことも大きいんだと思う。
ベッドに寝かされた後は、暫く本当に疲れ果てていて身動き一つできなかった。
ただ、ぼーっとしてた。途中半分気を失うように眠ってもいたと思う。
その間、傍にいた母が先生の説明とかを聞いていてくれたのを遠く聞いてた。

14時には旦那方のお母さんもきてくれた。
やっとまともに話を聞ける状態になった私に、もう一度先生があきらの様子を教えてくれた。
エコーで見て予想していたのより、もっと色々あったらしい。
でも、顔は穏やかだった、可愛い顔してたってあきらを受け止めてくれた助産婦さんが教えてくれた。
希望したとおり、胎盤の細胞を使っての染色体検査はするけど、病理解剖とかはしないことになった。
多分、私が気を失ってる間に母が伝えてくれたんだと思う。

死産の確認書?が助産婦さんから届けられて、母がお母さんと頭つき合わせてあれこれ言いながら書類を作ってくれた。
そのまま三鷹の市役所に母が持っていって手続きをしてくれた。
その間、お母さんがずっと私についていてくれた。

4時過ぎぐらいにやっと点滴がはずれる。
随分ゆっくりペースだったらしい。
肘なんかにしてもらったおかげで、腕が曲げられず終わる頃には手がしびれてた。
思えば、これまでのらりくらりと逃げ回ってたせいで、点滴も人生初だった。
気になって、何度も見てしまう私に母たちが苦笑いしてた。

点滴がはずれたころにはおなかの痛みもなんとなく薄れてしまっていて。
出てきた夕食も、母にちゃんと食べなさいって諭されながら、最後まできっちり食べた。
メニューは、きのこごはんと清汁、煮魚にかにあんかけ、和え物にみかん。
あの子を殺してしまった直後なのに、私、本当にご飯なんて食べてていいんだろうかって、泣きながら食べた。


母とお母さんは気遣ってかなり遅くまでいてくれた。
金曜の夜だと、電車に酔っ払いが多いから、危ないからって言ってもずっといてくれた。
とくに母は私が夕食をちゃんと食べるのまで確認してから帰ったから、本当に帰りは真っ暗だったはず。
ありがとうの言葉は、本当に何度言っても足らない…




あきらは、女の子でした。
なんとなく男の子のような気がしてたけど、言われてちょっと経ったらなんとなくしっくりきた。

180g、身長18cm。
助産婦さんが、気を利かせて手形と足型をとっておいてくれた。
あきらの姿がどんな事になっているか、怖くて見れない私に、ほら、可愛いよって見せてくれた。
その手形とかでやっとどれぐらい大きくなっていたのか、実感がわく。

肉眼での所見を紙に書いてもらった。
終わった直後の説明だけでは私は朦朧としてておぼえていられそうになかったから。
挙げられただけでも、沢山の不具合を抱えていたらしいってことだけはわかった。

耳介低位:
耳の位置が目よりも低い。病気の赤ちゃんに出る症状なんだそうな。
臍帯ヘルニア:
腹膜から、腸と肝臓がでてへその緒の中にあったらしい。多分おなかのふくらみの一部はこれだったみたい。おなかの水泡は解剖してないから分からないけど、やっぱり膀胱だったんじゃないかって言ってた。
卵膜異常:
本当なら赤ちゃんを包み込んでるはずの膜が臍帯から連なってたらしい。
単一臍帯動脈:
臍帯の動脈が一本少ない。
脊椎複裂:
背骨が途中で二股に分かれてしまっていて、脊髄?が一部出てしまっていたらしい。そのせいで?お尻も上手くつくれていなかったそう。たぶん、だから尿道も上手くできなくて水が溜まってしまってたんじゃないかな。

遺伝子検査は1ヶ月ぐらいかかるらしいけれど、恐らくは上記の様々な事から、Limb-body-wall-complexだったのだろうって診断された。
ただ、尤も疑わしいとだけしか言いようがなくて、決定診断にはならない。
多分、病理解剖したとしてもそれは変わんなかったんじゃないかなと思う。


夕食が終わってぼーっとしてるうちになんだかすっきりしてしまった。
あれだけ痛かったのが嘘みたいに、痛みの記憶すらおぼろげになってしまっている。
あきらはもうおなかに居ない。
それがなんだか不思議で、それを思うと、涙が出てくる…



22時ごろ、旦那が病室に来た。もう一晩お泊り。
仕事で休めなくて、しかも上司でもある私の父のきつい言葉のせいで、会社の忘年会まで出なきゃいけなかった。
こんな時にお酒なんて呑めるはずない。
周りに合わせて笑顔作っとくなんて、私とは違った意味できっとものすごく辛かったはずだ。
ただでさえ、私よりも繊細な人なのに。
なのに、ちゃんと父の言葉をまもって、最後まで出てきたらしい。
それを思うと、そんなやり方しかできない、自分の父に怒りを覚える。


病室に荷物を置いて、すぐ、旦那がナースコールで助産婦さんを呼んだ。
助産婦さんの言葉に甘えて、あきらを病室に連れてきてもらった。
暗い、真夜中に、まず旦那があきらに会った。
会って、大丈夫だよって言われて、私もあきらの顔を見る事ができた。

事前の情報では、Limb-body-wall-complexの子は本当にむごい姿をしてるらしいって聞かされていて、だからこそ、姿を見るかとっても躊躇ってた。
だけど、それでも会おうって思えたのは、昼間ずっと世話を焼いてくれた助産婦さんが、ちゃんと育ってたんだよって手形や足形を見せてくれたのが大きいと思う。

とっても小さな体だった。
膝に乗るぐらいの小さな真っ白な箱に寝かされて、小さな小さなフードをかぶせてもらって、私が編んだおくるみに綺麗に包んでもらって。
お顔だけが見えた。
まだ、作ってる途中の目は確かに関係ない人からみたら怖いかもしれない。
だけど、ちっちゃなお鼻も口も可愛かった。
まだお肉がつく前だから、あかちゃん特有のふっくらさは足らないけど、全然グロテスクとかじゃなくて、ちゃんと可愛かった。
助産婦さんが教えてくれた通り、穏やかに眠っているような顔をしてた。

助産婦さんにもう一度あきらを預けて。
旦那と二人だけになった部屋で、泣いた。
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